2024年5月21日火曜日

split

 からだはこころに引き摺られるし、こころもからだに引き摺られるようですね

2024年5月13日月曜日

光の方へ

 新居には窓が多くて、とにかく明るい。それがいちばんのお気に入り。

部屋には大きい窓が二つ、キッチンにもお風呂にも大きい窓、トイレにまで小さめの窓がある。全部の部屋から青空が見える!ときたま、ビスコさんの鳴き声がきこえる。すこしダミ声のニャーにときめく。


昼下がり、しばらく目を閉じて、あけると、視界いっぱいが青で染まる。

春の電車で居眠りをしたときのあの大好きな青色!

そんな明るさ。

2024年5月12日日曜日

東京ハチミツオーケストラ

 大須の部屋には丈の足りない遮光カーテン、どころか遮光カーテンそのものがなかった

南向き1k10階建の10階遮光カーテンナシ!のせいでなんかやたら日焼けしたりもしたんだけど

なにより大須はなかなか都会で、夜になって電気を全部消しても真っ暗にはならなかった。ギリギリ日記が書けちゃうくらいには明るかった。


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今日の午前、世田谷の部屋に入居をして、大家さんに挨拶、荷解きをして、いまはなぜか横浜の実家のベッドの上にいる



大須の部屋の六倍くらいあるクローゼットの中にちょんと座って、引越し業者のお兄さんが読み上げる番号に、手元のバインダーでチェックをつける。

あっちの空気とセットでつぎつぎと運び込まれていく、わたしの荷物たち。

ほとんど出る幕もなくぼーっと、タイムラプスみたく手際のいいお兄さん×3を眺めて 新生活の実感とよろこびをじわじわ感じる。

(お別れにひとしきりさみしがっていたはずなのに、やはり新生活というものは無性〜にワクワクする。現金な自分にちょっと笑える)


やたらキャラクターちっくな不動産屋さんのおじさんが来て、契約書類と挨拶のため、一階の大家さん宅に一緒に招かれる。

玄関がとっても広くて大きなテーブルがあり、おいしい紅茶を振る舞われながら、大家さんご夫婦と両親とで話をする。


お隣さんや近所の話などを聞いていて、大きい一軒家の2階に住むようなアパートなのでやはり大家さんとの距離も近いなあということをひしひしと。

ふたりともとってもいい人で嬉しい!が、なんかこう、夜中にうるさいだとかやたらめったら人を呼びすぎだとかでいつかチクリと怒られるんじゃないかと冷や汗をかいていた。

これはあれだ、高校のクラス替えの気分だ。わたしは外面と第一印象がいいけど驚くほどだらしないので、最初から先生に失望されるXデーのことをうっすら想像する癖がついている。かなしい習性。

めちゃくちゃに猫をかぶっているわたしの横で、大家さんと同年代のママ(おしゃべり)が余計なことを言わないか始終はらはらしていた。「あんまり遅くまで飲み歩けないねえ〜笑」とか!なんとか耐えた。


あと、不動産屋さんのおじさんにテーブルの上のりっぱな胡蝶蘭がずっと突き刺さってたのが今日のハイライト。面白すぎる。妖精みたいなおじさんだったな、、なんかずっと慌てているはげのかわいいおじさん。

ずっと会いたかったビスコ嬢にも会えた!

嬉しい可愛い、グレーの綺麗な毛並みに小さいお顔、きりりとした目の美人!寝起きなのにおとなしく抱っこさせてくれる大人のレディだった。仲良くなれたらいいなあ。


大家さんが部屋の様子を見たいというので、(見せたかったトルコランプをいそいで車から持ち出し、)段ボールだらけの部屋にみんなで上がった。

旦那さんは初めて会ったけど、口数の少ない穏やかなひとで、やさしげで感じのいいひと。

うちのパパと一緒にトルコランプをつけてくれた。二人が並んでる様子がなんとなく面白かった。それは大家さんも同じだったらしく、「なんか笑える〜っ」とか言いながら手帳型のケースをひらいて写真を撮っていた。

いい感じね!楽しんで暮らしてね!と言ってもらえてうれしい。大切に暮らします。



そのあとは近所の蕎麦屋さんに昼ごはんを食べにいき、やたら美味しいざるとミニカツ丼のセットを3人とも食べ、荷解きをし(クローゼットが広くて感動)、その途中でテレビのリモコンが無いことが判明(実家だ〜!)、ということで今日は一旦実家に帰ってきた。

妹が2人いるのになぜか残してくれてるわたしの部屋で横になってブログを書いている。

電気を消して寝る前に、暗いなあ、と思って

大須は明るかったなあ、と思ってしまって

真っ暗な中ブログを書いている。こんなんじゃまた視力が落ちてしまう。世田谷の夜は明るいかな、住宅街だからきっといまくらい暗そうだな。

でも遮光カーテンまだないからなあ。


ひとくち

 おいしいもの、食べるとひとにあげたくなるよね、

ひとに、っていうか大好きな友達とか家族とかに食べて食べて食べて!!ってしてしまうんだけど(押し付けの域)

ふと、まわりにそういうひと多いなって思って、

あのひとくちもそのひとくちも おいし!これ食べさせたい!って思ってのそれだったのかな〜なんて思うとすごいうれしいなとーっくに消化されてても満たされるな

AM0:37、ちょっとおなかすいた〜なんて思ってるけどいままでの数々のひとくちたちに思いを馳せて、寝る(夜食阻止!)

お別れの歌

 大人になる、っていうのはお別れが上手になることなのかも

(諦めも忘れることもある種なにかとのお別れだ、たぶん、過去の自分?)


引越しくらいでたくさんツイートもブログも書いちゃって我ながら大袈裟だなーと思うけど、まあ、理由が理由の引越しだからごちゃごちゃ考えてしまったのもあるんだけど、、

意外とケロッとしてるし、大袈裟だったかな(照)ってそんなふうに思えるのもお別れ上級者になったからだろう

というか、とくにお別れだとも思っていないのかもね

ひとりで飛行機に乗って沖縄に行った日から、行こうと思えばどこにでも行けるし誰とでも会えることをわたしは知っている


ただお別れ有段者のわたしにも例外があって、恋愛が絡むお別れは得意じゃない(得意な人なんていない)

ああきっと二度と同じ感情にはならない、瞬間にはならない、なってもらえない、と思うから恋自体があまり好きじゃない

なんというか、恋心とかいうもの そのものとのお別れって再会のしようもないしね、

一度乾杯したら友達!時間が空いても友達!の思想のわたしにとって、絶対的な不可逆がついて回る恋というものはなんて不便で身動きが取りづらく、つらくさみしいのか!と思ってしまう


そんなこんなで気がついたら恋をしない大人になってしまっているけれど

ほんとうに誰かを好きになっていないのか、恋はさみしいから頑として認めないのか、モテないからビビって遠ざけているのか、真偽は闇の中自分でもわからない


一方友達って半永久でとってもいいよね〜

(すくなくともわたしはそう思う 相手からもきっとそう思われていると思う自信もまた、ある ふふ)

お別れソムリエなんて自分のこと自称してしまったけど全然そんなことないな、永遠が常にほしいですみんなずっとわたしのこと好きでいて忘れないで!

おたがいさま

 わたしがいない隙間が、できるだけ長く残っていてほしくて、できるだけ長くさみしく思っていてほしい、なんてすこし思っていたけど

いざ離れてみるとそんなことはなくて、さみしくなくても忘れるわけじゃなければ無かったことにもならないわけで


だったらさっさと隙間は埋まって、賑やかな日々の賑やかさにさみしさもなくなってほしいと思う。というか、きっとそういうものだよ

わたしがどう祈っていようと、3日もすれば日常で、わたしもあなたももといたところに戻っていくだけのこと

日々が交差したときに、またどこかで会えたらいい


2024年5月10日金曜日

白詰草と六等星

 ぼくら真夜中に抜け出して最終回を延長しよう

2024年5月4日土曜日

友達のうた

真夜中の商店街は大きな鯨の胎のなか 肋骨のしたを二人ぼっち 手を繋いでくるくると歩いた わたしが流した曲おぼえてる

さよならだけが人生だ

路地裏で/気の抜けた瓶ビールのとなりで/バーの二階で寝ているひとの前で/セブンティーン・アイスと夜明け前の通勤路で/人がまばらになった高架下のライブハウスで/始発の後のホームで/ひとつひとつにお別れをしている ひとつひとつにハグをして

2024年5月1日水曜日

AM3:00

 我はバー・カウンターの内側に立つ人間だ!という責任感だけで膝を支えてるような、笑顔が砂漠のキツネのようにかわいい人。

酔っぱらい特有のふやけた笑顔で見送ってくれたときの、「ジムくんも気をつけて帰ってね!」に、ふやけた笑顔と手の振り方で「すずちゃんも、気をつけてね、毎日。」と言われたのがなんとなく可愛くて嬉しくて 昨日のお酒が抜けてもホクホクとした気持ちでいる。