2024年8月14日水曜日

田舎

 母方の祖母の家は千葉の田舎で、あんまり山の中だから24年間何回も行ってるのに最寄りの駅すら知らない


ママの運転で少し遠くまでみんなでお昼を食べに行く 真夏の盛りはすぎて、昼下がりの穏やかな車中で、去年だか一昨年だかの墓参りを思い出す



お盆の墓参りは父方の実家に行くのがきまりだった

パパの実家は成田山の参道裏の小さな洋品店で、特別裕福というわけでもないが、大きな家と大きい仏壇、白黒のご先祖さまがぐるっと見下ろす畳の間 極めつけにはおじいちゃんの葬式にお坊さんが三人も来て見事にお経をハモったときには葬式中でもちょっとおかしかった

お盆にはちゃんとご先祖さま用の、おままごとみたいなちいさい御前を用意して、細桔梗の迎え火をさげてお墓参りをする


ちいさいころからずっとこの成田のお墓参りが常だったので、母方のお墓に行ったのはひいばあちゃんの葬式以来、10年以上たっていたかなと思う


行事ごと、盆と正月の挨拶は成田にも顔を出すけど、それ以外は帰省といったらもっぱら母方の田舎にいた、でもお墓参りは行った記憶がほとんどなかった、不思議な不平等さが当たり前だった



そんな母方のお墓参り、三姉妹のなぜか長女のわたしだけ、あと母と祖母の三人で、山と田んぼを縫って知らない道を車で行った


ハンドルをまわして窓をあけて 立派な参道とは打って変わって、人工の緑と自然の緑しかバリエーションのない風景 手入れの住人をうしなって山に飲み込まれつつある田畑がなんとなくグロテスクで

人の営みを飲み込む自然から、逃げて身を寄せ合ったような集落、たまに葬式の案内 車の中でこのあたりは部落だった、なんて話を聞き流した


夏の盛りの濃い空の色がからまわりしている、と思った あんまり寂しい景色だった


墓地について、水を汲んで線香をたいて手を合わせる


ふと、この母と子は、死んだら同じ墓に入らないのか、と思った なんとなく、長女のわたしだけが墓参りに呼ばれた理由がわかった気がした 女の悲しみのようなものをぼんやり考えた この盆のことを考えるとき、なぜか、一人暮らしを始めるときの、見送りの母の涙を一緒に思い出す


身も蓋もないことを言えば、祖母と母が離れた墓に入る頃には、盆に千葉に来ることもないんだろう

さっき見た田んぼのように、この墓地が山に飲まれるさまを想像した


わたしは運転ができない、道を覚えるのも苦手だ

わたしは、最近後ろ姿がよく母に似てきたらしい

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