つよすぎる光には 近づきすぎると眩しいし
醜くこげた じぶんのこげくささが
まぶしい白と茶色と黒のまるこげのわたしの
色のちがいが
今日もあのひとはうたっていました めいっぱいの光を携えて
関係性が変わるおとをたしかに手のなかに感じるとき、それを受け入れるか、突き放してぼろぼろにちぎって散らしてしまうかを迷うとき
いつも、わたしがあなたに向けていたほんとうのまなざしがあらわになってしまうようで ただただおそろしく
わたしの醜さも計算高さもわたしの打算も見えてしまうようでおそろしく すべて取っ払ってそれでも友達でいたいですだなんてもうすでに高慢ちきでなんて嫌なやつ
そのおめがねにかけている時点で何様なのかと自分を嫌になりまるごとあなたをいやになる でもそれでも好きでいたかったんです本当だよ
臆病というか逃げ腰というか傷つきたくないというどうにもならない自己愛、どうしようもない自己憐憫のせいで恋を恋と認知することすらできず、すべて終わったあとで あああれはたしかに好きだったのだと、ほんとうに半年も一年もたってから気づくんですどうしようもないでしょう
年に何回か、さみしくて発狂しそうになる
「さみしさ」が実態となって怪物になってネチネチ蹴飛ばしてくる。むかつく。心にあざができてずっしりとしたみぞおちの痛み。
暴力をふるわれたり辱められたわけじゃない けど確実にそのあとのみじめさと痛さだけが事実 なんでこんなにみじめなのかは、わからない
でも毎年毎年、やられるだけの私じゃないし ちょっとずつ負け方が上手くなってきてるのもまた事実
前はぐっとこらえてやり過ごすことしかできなかったのが、いまは怪物にどかどか蹴られながらでも、夜に不燃ゴミを出しにいって、野菜炒めを作って(らーめんにのせて)、好きな動画を流せるくらいには怪物と共存してる。
さみしいよね〜、なんだろね おまえもさみしいね
アダムくんが新生活のうたに「ハッピーエンド」と名前をつけたこと
7年好きだった元カノに会えたら全部が報われて人生あがりって思っていた友達のこと
みんなここじゃないどこかへ行きたくて、連れていってほしくて、どこか遠くに行くことが終わりでゴールでハッピーエンド その続きは描かれないことが多いけど、「いま」がそれじゃないことだけ確実で みんなどこか「終わらせる」ために必死なのかもしれない
友達、腐れ縁?よくわかんない大学の同期とふたりで飲みに行った 町中華、きくらげと卵の炒めが美味しかった。
別れてからも7年間好きだったひととドラマみたく再開し、燃えて、既読無視されるまでの話を、にはいめのレモンチューハイを飲みながら聞いた。
身を乗り出してしあわせを願ったり、ハラハラしたり、オチにげらげら笑ったりをひとしきりした後、静かになる。なんだよお前にもあるのかよ、真実の愛!(この場合結ばれていないからすこしちがう?)
滅多にこんな話をしない間柄でもさすがにくだをまいてしまった、なんか最近考えちゃうんだよねえ、って
みんなスマホもってるからわたしもほしい!みたいな!って、酔って出た言葉がぴったりとはまって笑える。
真実の愛、みたいなもの。気になるよねえ。みんなが持ってる(気がするなら、)尚更。
(みんなが持ってるって具体的に何ちゃんと何ちゃんが持ってるの!?なんて、ママの声)
でもさ、わたしスマホ持ったのも早いほうだったし、なんなら“それ”だって前もってた気がするんだよ。そして、すごくいいものだった気もする。
でも今の暮らしも楽しくて。難しいことはなんだかわからない。
ふらっと寄ったスーパーで桃を買って、自分のために桃をむいて、そうやって暮らしていこうと思う、しばらくは。
味付けのりって家にあると常に食べちゃう お葬式の引き出物(あってる?)の味付けのりが、一枚で二枚分くらいの食べ応えがあってすごく美味しい、さっき包装紙を破いたのにもうこのまま全部食べきっちゃう勢いで減ってく 大好きな人のお葬式に行ってきた 大人になってから初めてお葬式に行った...